dear Meでは、現代美術のアーティストとの関わりを通じて、社会を眺めるプロジェクトの実践を行なっています。今回、田村友一郎氏との協働でリサーチと作品制作協力を行いました。このプロジェクトの成果は、2019年2月から5月に「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館)で作品《MJ》として発表されました。その制作プロセスについて、dear Meプロジェクトに関心を持つアートライター 山越紀子氏が取材しました。
現代アートと教育の分野において、それまでの日本の枠組みの中には存在しなかったプラットフォームを立ち上げたパイオニア、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト](以下、AIT)。2001年より開講する現代アートを通して社会を多角的に考察する教育プログラムMAD(Making Art Different)のレクチャーや、2003年より実施するアーティスト・イン・レジデンス、そのほか、展覧会の企画や国内外の美術機関との協働プロジェクトなどが有機的に関係し合うプログラムの数々は、人々に現代アートと多様な形で接する場を提供し続けてきた。近年は、特に「ホリスティック(より良く生きること)」をテーマに、多様なオーディエンスと共に社会的課題とアートについて考えるプログラムを設けている。その一つとして、2016年より立ち上げた dear Me プロジェクトがある。dear Meは、 開始以来、現代アートの表現や思考を軸に、主に児童養護施設にいる子どもたちや社会的支援の必要な子どもたち、さまざまな環境下にある若者、そして伴走する大人たちに向けて新たな気づきや扉を開く機会を創り出している。
これまでに、国内外のアーティストによるワークショップや、日米の児童福祉をつなぐ活動をするNPO、IFCA(インターナショナル・フォスターケア・アライアンス)を招いたラウンドテーブル、アートや福祉、医療など分野を越えた場づくりを考えるシンポジウム、また子どもを取り囲む社会課題を大人たちが考える講座などを開催し、子どもも大人も学べる場づくりやその発信を行ってきた。そして今年、新たな試みとして「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館)で発表された田村友一郎による作品《MJ》が、dear Me とのコラボレーションで実現した。
Yuichiro Tamura|田村友一郎《MJ》(2018) シングルチャンネル・ヴィデオ
田村友一郎(1977-)は、土地の記憶や歴史を掘り起こし、それを独自の手法で変換・接続することで時間軸や空間を超えた連鎖反応を導き出し、現在地とその更新を促す作品を発表している。映像や写真、インスタレーション、パフォーマンスなどの多彩な手法を用いながら、田村は常に対象の状況や関係性を俯瞰して捉え、静かにそしてユーモアをもって突き放し、ずらしてゆく。
本作《MJ》では、dear Me とも縁のある児童養護施設・星美ホームを訪れたという20世紀のポップアイコンであるマイケル・ジャクソンの足跡の記録と記憶を追いながら、同時代に発展していった映像メディアの再考と、神的な存在について、そしてその存在が放つ神託やそこから誕生する神話・聖地とは、という問いに注目する。 プロジェクト成り立ちの経緯や制作背景を、アーティスト・田村友一郎氏と、dear Me 運営スタッフ・藤井理花氏に伺った。
− MJのプロジェクトが立ち上がった経緯について教えて下さい。
田村:AITとは2017年、AITが企画運営事務局を務める「日産アートアワード」のファイナリストに選ばれた際に関わる機会がありました。そうした経緯を経て、AITが手がけているdear Meより今回のコラボレーションの依頼を受けました。ただ、それまでの実例を伺うと<アートと福祉>というテーマの元、施設などで子どもたちに向けてワークショップを行うという形態が多く、僕自身はこれまでそのようなテーマに能動的に取り組んだ経験がなかったこともあり、最初は正直どのように関わるのが最善か戸惑いました。最終的には純粋に作品を創る方向で話し合いを始めました。
藤井:以前から、いろいろな土地の歴史や人物にまつわるストーリーをもとに、周辺にあるものを組み合わせてどこにも無い物語を紡ぎ出す田村さんの作品を興味深く拝見していました。dear Me は既存の枠組みにとらわれず、一度それらを壊してさまざまな視点で俯瞰できるようなきっかけを作り出せる場づくりや作品の制作なども目指しています。今回のコラボレーションでは、近年「終焉と再生」に着目し創作を行なった田村さんの視点を通した時にどのような問いかけが可能になるのか、それをより良い協働の形として映像や作品で見てみたいと考えました。例えば、現代アートの表現に関心を持つ若者や団体とのコラボレーションの可能性などです。AITがこれまでのリサーチで出会った団体の一つに、生きづらさを経験した若者たちの声を通してアメリカと日本の児童福祉をつなぐ活動をしているIFCAがあります。団体のエグゼクティブディレクター粟津美穂氏が「表現をする子は生き残る。誰にも見せない日記でも詩でもいい、自分の思いを言葉などにして、状況を俯瞰して見られる子は生き残ってゆける。」と話した言葉が印象的でした。ホームレスや複雑な子ども時代を経験したアメリカの若者たちのことを始め、田村さんにはまずこれまで出会ってきた個人や団体、機関とのエピソードをお話ししました。
田村:ヒアリングを継続してゆく中で、東京北区に在る星美ホームという児童養護施設の話を聞く機会がありました。そこに以前マイケル・ジャクソンが訪れた事や、その場所がマイケルファンの間で聖地になっていること、更にはそのファンがマイケルの想いを継いで施設自体のサポートにも関わっているという事実を知り、それは非常に面白い関係性だと感じたんです。そこでそれらを起点、もしくはキーワードとした作品が作れないかと考え、映像作品を作る方向になりました。当初はウェブ上での発表を考えていましたが、タイミング的に「六本木クロッシング2019」への参加が決まっていたこともあり、最終的にそこをアウトプットの場としてインスタレーション作品として発表することにしました。
藤井:マイケル・ジャクソンのエピソードと田村さんとの繋がりのアイディアはAIT内でも当初からありました。どのような作品になるかは未知数でしたが、田村さんの表現を通した時に予測不可能なものになるのでは、という期待もありました。アーティストの表現を通してプロジェクトのことや、ひいては子どもたちの状況について考えたり、知る機会になることを、私たちは大切に考えています。そのため、今回のように美術館での発表に繋がったのは一つの大きなアウトプットになりました。マイケル来日当時に星美ホームにいた子どもたちは、もう大人になっています。展覧会会期中には彼らを招待した特別鑑賞会の機会も持つことができました。
拡張するマスメディアと、MJという宇宙
− 作品のテーマについてもう少し詳しく教えて頂けますか?
田村:今回の作品をつくるにあたって最初に考えたことは、聖地化することやカリスマ性についてでした。これは20世紀における宗教の誕生や成り立ちにも繋がることで、現代でも起きてきたことです。そしてそれは映像技術の進化とも繋がっているのではないかと思っています。マイケルはスターでしたが、特異な人だったと思います。勿論、そこには時代性もあったとは思いますが、彼はあからさまに愛についてストレートに表現し、しかも世界中の人々がそれについていった。また、マスメディアの影響と共に本人のイメージはどんどん変化してゆき、いつしか彼はまるで宇宙人のような、あたかも人間ではないかのような存在となっていきました。それでも世間は彼を受け入れていた。振り返ると異様な現象でもありますが、マイケルが実際に座ったステージがある星美ホーム内の集会所は、いまだに訪れる人が絶えません。あるイベントでは、マイケルの元専属シェフを招き、マイケルが日本ツアーで実際に食べた食事を再現し、皆で食べたりという事も行われていました。マイケル自身、子どもが好きだったことや児童養護施設の在り方など、そういった要素がクロスオーバーしつつも、不思議なずれがそこにはありました。それでいて、なんとなく全てが収まっているというような奇妙な現象もそこでは起きていました。それを繋いでいるのがマイケル。本当にユニークな人物だったと思います。一方でファンが高齢化していっている現状もあり、もう少し時間が経つとこの現象の熱量はきっと薄れていってしまうのかもしれないと考えた時、作品を通してマイケルに触れておかなければと思いました。
− そこにアポロ月面着陸の史実を重ねた経緯と意図はどんなものだったのでしょう?
田村:実はそれは少し後のことになるのですが、最初はやはり聖地とはという命題や、マイケルという存在へのアプローチを試みていました。その後、森美術館と実際の展示構成案が進むなかで、星美ホームという場所性を敢えて美術館に再現する意味を吟味する過程で、更なるレイヤーが必要だと考えるようになりました。そこで幾つか着目した点の一つが、マイケルがホームを訪れた際に随行したMTVの撮影クルーに伝えた「Please document everything, action, reaction, cause and effect, them to me, me to them. (全てを記録してほしい、行為と反応、始まりと終わりの因果、そして彼らから見た僕と僕から見た彼らも)」という言葉でした。その言葉に注目することによって、次の展開が見えてきた。前に進んでいるようで後退しているそのステップに名付けられたムーンウォークと、アポロ11号の月面着陸とそこでのムーンウォーク。そして始まりと終わり、因果といった要素が徐々に繋がっていきました。
はじめに神は天と地とを創造された。
地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇をと分けられた。
神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
神はまた言われた。「水の間に大空があって、水と水とを分けよ」。
そのようになった。(中略)
神はまた言われた。「天の下の水は一つ所に集まり、乾いた地が現れよ」。
そのようになった。
神はその乾いた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。
神は見て、良しとされた。
(《MJ》より)
崇高のレトリック
− 作品の一部にも使用されているアポロ月面着陸当時のドキュメンタリー映像には聖書の引用などが出てきますが、そのあたりも本作で注目したキーワードと重なります。
田村:本作は立花隆の著書『宇宙からの帰還』も下敷きになっていて、この本が星美ホームとムーンウォークをつないだ要素にもなっています。とても興味深い本で、本作の制作にあたり改めて読み返しました。本の中にはアポロ計画を中心としたNASAの幾つもの宇宙へのアプローチの事例がでてきますが、その中からアポロ8号と11号のエピソードを題材に選びました。アメリカではキリスト教が圧倒的な力を持っていて宗派も多い。アポロ飛行中にも同乗する宇宙飛行士は旧約聖書を回し読みしていたと言います。そこから帰還した飛行士の中には、のちに宗教家になる人や、リアリスト(註:帰還後、精神を病んだ者やビジネスの世界に入った者などがいた)になる人もいた。アポロ8号は人類に向けて初めて月の裏側を照らし出しましたが、それはまさに影の部分に光を当てる行為です。地球から離れたあの場所でそれを見たことは、人間の体験としてとてつもなく大きなインパクトだったと想像します。
実際の作品映像(全3チャンネル)とのつながりとしては、ひとつが星美ホーム、もうひとつがアポロのドキュメンタリー映像、その実況映像の中で旧約聖書の一節がアポロ8号のクルーによって読まれます。同時に星美ホームを映しだすモニターには上空から降下するドローンによって夕闇の中の施設の姿がゆっくりと映し出される。荒川と埼玉に囲まれたこの赤羽という場所がどこか崇高にさえ見えてくる。アポロのクルーが遠く離れた宇宙から地球を見た時、地球がいかに奇跡的なものかと感じたといいます。ではこれを創ったのは誰なのかという問いに、彼らは神で答えた。何よりもマイケルを生んだアメリカ人がそれを今でも心底信じているという現実があるのです。
技術、カリスマ、光と影
− プロジェクトのために立ち上げられたサイト(www.mj0060.org)に掲載されているステートメントにも、本作は「映像における記憶と記録に関わる光と影の実践である」と記述があります。19世紀の写真の誕生から20世紀の映像メディアの発展という歴史や「光と影」というキーワードは、田村さんの過去の展示、特に近年では小山市立車屋美術館での展示「試論:栄光と終末、もしくはその週末 / Week End」や「日産アートアワード2017」で発表した作品《栄光と終焉、もしくはその終演 / End Game》にも通底しているように感じます。
田村:自分自身が写真出身であることも大きいと思います。写真は19世紀に誕生した光と影をダイレクトに扱うメディアで、そこから映画、テレビ、インターネットへと繋がっていきます。そういう自身の出自から、20世紀を代表するポップアイコンであるマイケルは、19世紀後半から20世紀という映像の時代にフォーカスする時、非常に大きなハイライトとして映りました。
− 本作の展示は出入口を除く4方が壁で仕切られた空間で、床には感触のあるカーペット、左右に設置された3台のモニターの奥に星美ホームの集会所(サローネ)のステージを再現した存在感のある構成でした。作品を見ていた際、観客の一人が「なんだかステージからマイケルが出てきそうだ」と呟いたのが興味深かったのですが、前述の場所性を美術館空間に創り出すにあたり、苦心されたことはありましたか?
田村:最初マイケルをいかに降臨させるかと考えた時に、光と影の実践として、ホログラムのような仕組みを考えました。実際には、短焦点のプロジェクターを2層の透明ビニールに投射することで擬似的な奥行きを作り出しています。とてもアナログな方法です。投映されているのはマイケルのパフォーマンスを完全に再現している方、そういうひとをインパーソネーターというのですが、その方にムーンウォークをしてもらい撮影しています。展示にインパクトと余白を与えるためにも敢えて全身ではなく足元のステップのみにフォーカスしました。
空間中央部分のカーペットも展示の重要な要素です。京都に本社を持つ川島織物さんに製作協力をいただき、アポロ11号が降り立った実際の場所1キロ四方の月面データを元に三段階の毛の長さでクレーターを表現してもらっています。
また、高層ビル内に空中回廊のように位置する森美術館を展示場所として観客がエレベーターの上下運動を経て、展示場所に到達するという構造も、結果、本作に効果としてとても寄与していたように思います。
− 作品を牽引するナレーションテキストには、制作初期に注目されたというマイケルの言葉「Please document everything, action, reaction, cause and effect, them to me, me to them. (全てを記録してほしい、行為と反応、始まりと終わりの因果、そして彼らから見た僕と僕から見た彼らも)」と、それにまつわる表現が繰り返し出てきますね。
田村:ナレーションテキストは、日産アートアワードの作品でもお願いしたドラマトゥルクの前原拓也さんに校正として入ってもらっています。マイケルの言葉の真の意図は計り知れませんが、僕自身のパラメーターをそこに加えることで解釈を拡張しています。本作で語られているのはいわゆるフィクションとしての物語とは違う、ある種の説話(註: 創作された話に対して,民間に伝わる口承の物語。)だと捉えています。
実はあの展示空間には多層の意味を持たせていて、アポロン神殿(註:古代ギリシャで神託の聖地とされていたデルフィーに位置する神殿)も重ねられています。マイケルの神的な存在感と、彼の発した言葉を神託として見立てた時、神託を授けるアポロン神殿の入口に刻まれている言葉「汝自身を知れ」が浮かび上がってくるというものです。「汝自身を知れ」には多様な解釈があるので、ここでは敢えて規定しないことにします。
時のかたち|直線的時間軸の再考
田村は一見すると関連性の無い出来事やナラティブに繋がりを見出し、作品をかたち創ってゆく。近年は栄光と終焉=光と影や、信仰の対象としての神聖な事物の両義性といった本作にも通底するテーマにも取り組んでいる。横浜美術館で発表した《裏切りの海》(2016)では、横浜に所縁のある近代ボディビルディングの誕生と映像メディアの発展の知られざる関係性を扱った。身体を筋肉毎にバラバラな<断片>として認識・構成(トレーニング)してゆくボディビルダーの不連続な捉え方を発端に、映像におけるイメージや時空を超えた要素を<断片>として接続する行為=編集と結びつけた田村は、同展覧会カタログに掲載されたインタビューで「それぞれは時間的にも空間的にも隔たりがあるものの、同じ位相として扱いつながりを持たせ」た、と話す。ある断片から断片への飛躍や入れ替え、直線的な時間軸を超えた接続は時に「いびつ」ではあるが新しい何かを現在に立ち現わすという。そしてその可能性への試みが田村の実践の原動力の一助を成している。
人間の手によって作られた事物の歴史を主題とした著書『時のかたち』の中で G・クブラーは、「現在性とは灯台からの閃光と閃光の合間にできる暗闇」だと語った。「もし私たちが異なった種類の時間単位をいくつか考え出せるなら、私たちは更に先へ進めるだろう」と。
田村の作品には鑑賞者を没入させる引力がある。
鑑者は例えそこに在る綿密に練られた時間と空間の層構造の全てを感知せずとも、いつしかその世界に没頭する。それは作家本人が<説話>と語る物語の中で扱われる現実問題と、同時に意図的に配置された異物の断片が、見る者に普段忘却している余白を与えているからかもしれない。
隔たって距離を置くその手つきは無機質のようでいて、どこかに気配を感じさせる。そうして想像力を立ち上がらせながら、読み解く意思のある者には幾つかの差し伸べる手、手がかりも用意されている。
直線史的な構造をずらし、そこに因果関係を示唆しながら事物の新たな境界線を提示する田村の実践は、現在性の更新を提案し続けている。
半世紀も前の偉大な跳躍とムーンウォーク
アームストロング船長とMJの言葉は皮肉めいて響きあう
「これはひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍である」
しかし君たちは、その結果を見たか?
われわれは進歩したのではない
むしろ後退してやいないか?
アポロンの神託所にはこのような格言が刻まれていた
汝自身を知れ
(《MJ》より)
「見ることは光を照らすことに他ならない」|想像と言葉のちから
2006年にマイケルが訪れた星美ホームは、終戦からおよそ1年後の1946年にカトリック福祉施設として設立された。その理念には<通じる愛>が掲げられている。施設には仕事の都合で一時的に預けられる子どももいれば、ネグレクトにより家庭に居場所のない児童もいるという。マイケルは撮影クルーに「すべてを記録してほしい、行為と反応、始まりと終わりの因果、そして彼らから見た僕と僕から見た彼らも」と伝え、ホーム内のサローネの階段に座って子どもたちに「愛してる」と伝えた。
ポール・オースターの『ムーン・パレス』という小説がある。マイケルが主演・原案・製作総指揮をとった映画『ムーンウォーカー』が公開された翌年の1989年に書かれたこの小説は、ちょうど人類が初めて月面に到達した頃のアメリカを舞台としている。物語はコロンビア大学近くに実在した中華料理店<ムーン・パレス>と<月>をモチーフに、生まれた時から父親との関係が断たれている境遇の子どもと、子どもがありながらその関係を断たれている親の3世代が登場し、フロンティア精神を継承した直線的な進歩史観や互いに理解し難い不可能性を抱えた自己と他者が描かれる。時空を超えて接続される3世代の多層化された構造下で、主人公は未来のメタファーとして扱われる月が描かれた絵画を<見る>ことを繰り返し要請される。そしてそれはやがて実証不可能な断片を語る他者を無理やり自己の理解の範疇に押し込めるのではなく、その不可能性を抱えたまま、想像力をもって記憶や解釈を更新することが個に強度を与え、互いに寄り添ってゆける道として暗示される。このいわば異質な断片の解釈を更新し続けてゆく行為は、《MJ》の中で語られる「見ることは光を照らすことに他ならない」という言葉と、田村の作品が促す現在性の更新にも繋がっているように思う。そうしてその解釈への余白は見る者、観客に手渡される。それはまた、インタビュー冒頭で引用されたIFCAディレクターの言葉「表現出来る子は生き残る。誰にも見せない日記でもいい、自分の思いを言葉などにして、状況を俯瞰して見れる子は生き残ってゆける。」というメッセージと共鳴することかもしれない。
テキスト:山越 紀子
スタッフあとがき
展覧会会期末に、星美ホームを退所した卒園生と、学習支援や課外活動を通して長年子どもと関わりを持つボランティアグループ「星の子キッズ」のメンバーを招待した鑑賞会が森美術館のラーニングチームとAITの協働で行われました。参加者には当時実際にマイケル・ジャクソンに会ったことがある卒園者もいて、特別な想いで鑑賞していた様子でした。作品を通して映し出される星美ホームを見た彼らは、驚きとともに嬉しそうな顔をしていました。卒園者にとっては、さまざまな事情の中、園で生活することになり一定の時間を過ごした場所が「アート」として目の前に存在する経験は、特別なものだったに違いありません。
再現された舞台と撮影されたサローネは、長年続く伝統とも言えるクリスマス聖劇で、毎年このサローネを舞台にホームの幼児から高校生、職員が総出で、大勢の来場者を前に発表をしてきました。星美ホームの関係者にとって特に大切な場所だといいます。ホームのシスターたちも会期中に鑑賞に訪れ、口々に「来られて良かった」と話されていたそうです。
dear Meではアーティストに作品を依頼することにより、作品を通して顔の見えにくい子どもたちの存在や、彼らを取り巻く環境を想像する機会をつくること、発信することを大切に考えています。今後もアーティストとのさまざまな協働の形を模索していきたいと思います。
ミクスト・メディア、インスタレーション(3チャンネルビデオ、ホログラム、カーペット)、サイズ可変
映像編集:西野 正将
撮影:亀村 佳宏、塩見 徹
音響:荒木 優光
字幕翻訳:奥村 雄樹+グレッグ・ウィルコックス
マイケル・パフォーミング:Masaki(LUNA WORLD Ltd.)
絨毯デザイン(月面):Calamari Inc.
テキスト協力:前原 拓也
制作協力:ユカ・ツルノ・ギャラリー、川島織物セルコン株式会社、社会福祉法人扶助者聖母会児童養護施設星美ホーム、NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]
◯ SPECIAL THANKS(順不同・敬称略)
星美ホームの皆さん 工藤 嘉央 平澤 和彦 熊本 幸子シスター 小川シスター 本地 元気 ご協力いただいた皆さん
※ 本記事内で紹介している《MJ》のdear Meヴァージョンの映像はAITのコミッション(共催:日本財団)により制作されました。
会期 2019年2月9日(土)ー 5月26日(日) 会期中無休
会場 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
主催 森美術館
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田村 友一郎1977年富山県生まれ。2019年現在、京都市を拠点に活動。日本大学芸術学部写真学科卒業。東京藝術大学大学院映像研究科博士後期課程修了。ベルリン芸術大学空間実験研究所在籍(2013-2014)。名古屋芸術大学芸術学部美術領域准教授。土地固有の歴史的主題から身近な大衆的主題まで着想源は幅広く、現実と虚構を交差させつつ多層的な物語を構築する。近年の主な展覧会に「Milky Mountain/裏返りの山」(Govett-Brewster Art Gallery、ニュージーランド、2019)、「話しているのは誰?現代美術に潜む文学」(国立新美術館、東京、2019)、「美術館の七燈」(広島市現代美術館、広島、2019)、「わたしはどこにいる?」(富山県美術館、富山、2019)、「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館、東京、2019)、「The Fabric of Felicity」(GARAGE現代美術館、モスクワ、2018)、「叫び声/Hell Scream」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、京都、2018)、釜山ビエンナーレ 2018、日産アートアワード2017などがある。
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山越 紀子ハンブルグ生まれ。東京とチューリッヒを拠点に活動。人文学・社会科学から美術史を学び、芸術祭や展覧会、キュラトリアルリサーチ、執筆・編集業務に従事。現在、チューリッヒ芸術大学・大学院課程(キュレーション)に在籍。
携わった主な近年の展覧会に、札幌国際芸術祭(2014)、さいたまトリエンナーレ(2015-2016)、12 Rooms 12 Artists - UBS アートコレクションより (2016)、トマス・ヒルシュホルン(2016)、ヨシュア・オコン(2016)、ポーリン・ボードリ / レナーテ・ロレンツ(2016)、ムン・キョンウォン / チョン・ジュンホ(2017)、「Choreographing the Public」(2019-2020)などがある。