世界で一番自由な学校 サマーヒル・スクール

皆さんは、「フリースクール」や「デモクラティック・エデュケーション」と聞くと、どのような場所を想像しますか?今回は、私自身が実際に12歳〜17歳までを過ごした「世界で一番自由な学校」として知られる、イギリスのSummerhill School(サマーヒル・スクール)をオルタナティブ教育の事例としてご紹介したいと思います。

A.S.ニールのサマーヒル・スクール

サマーヒル・スクールは、改革教育運動に影響を受けた教育家のA.S.ニール(Alexander Sutherland Neill)により1921年に創立され、もうすぐ100歳を迎える世界で最初のフリースクールです。今も当時の姿のまま、ロンドンより電車で2時間ほどの距離にある、サフォーク州の小さな田舎町レイストン(Leiston)に健在しています。学校面積のほとんどが森に覆われた、自然あふれた小さな全寮制の学校で、さまざまな国の4歳から18歳の子どもたち約60〜70名ほどが親元を離れ、コミュニティとして共同生活をしています。

創立者のニールは、子どもの役割は子ども自身の人生を主体的に、意欲的に生きることであり、『社会の強制・親の価値観・教育者の知識』を無理やりに押し付けられる事ではない(※1) という信念を持っており、知識の習得や成績よりも、子どもの幸福を最も重要視しました。そしてその幸福を生む大切な要素は、子ども個人に最大限の「自由」を与えることだと考え、その思想を実践した教育環境こそがサマーヒル・スクールでした。

私にサマーヒル・スクールの存在を教えてくれたのは母でした。サマーヒル・スクールには、公教育に合わず、幾つもの学校をたらい回しにされてやって来る子どももいれば、自らニールの本を読み入学を希望する子どもや、私のように親からのオプション提示がきっかけでやって来る子、他にも親や親戚がサマーヒル・スクール出身者であるケースも多々ありました。

1. “The function of a child is to live his/her own life, not the life that his/her anxious parents think he/she should live, nor a life according to the purpose of the educators who thinks they knows best”

スクール・ミーティング、子どもたちによる自治
私たちの持つ「権利」。不満があるのなら話し合い、変えていこう!
  

ニールがサマーヒル・スクールで子どもたちに託した「自由」の1つのかたちは子どもたち自身による自治です。週2回の「スクール・ミーティング」は、校則や学校内でのトラブルをコミュニティが話し合う、サマーヒルの中核要素で「デモクラティック・エデュケーション」の実践の場です。スタッフである大人も子どもも、平等に一票の権利を持ち、多数決で物事を決定していきます。

世界で一番自由な学校と言われるサマーヒル・スクール。実は校則の数がとても多いのです。

  • [校則の例]
  • トースターの中には食パン以外のものを入れてはいけない
  • 室内に自分の身長よりも長い棒を持ち込んではいけない
  • 雨の日に木に登ってはいけない

これらは全て、スクール・ミーティングでの真剣な話し合いを通して、子どもたちによって作られた校則です。(2004年当時)過去に一度、トースターにクランペット(厚手のパンケーキ)が挟まってしまい、焦げたクランペットから昇った煙で火災報知機が鳴り、朝から全校生徒で防災室へ避難をするはめになってしまった、という出来事をきっかけにこの校則は生まれました。自分の身長よりも長い棒は、コントロールが難しく人にぶつかる危険があるために作られた校則で、雨の日の木登りも、転落して怪我をした誰かが挙げたもの。このようにサマーヒルでの校則は生活の至るところに存在しており、誰でもミーティングを通して内容を変えたり、廃止することが可能です。


サマーヒル・スクールでは、大人を名前では呼びますが「先生」とは呼びません。校長すらも、「ゾーイ」と名前で呼んでいます。コミュニティに絶対的な権力を持つ人は存在しないため、いじめっこを叱ってくれる大人はおらず、どんなトラブルも自分たちで解決をしていく必要がありました。それがミーティングという場の持つ、もう1つの大切な役割です。もし誰かが私の自転車を無許可で勝手に使っていたとして、それを嫌だと思った私には、相手をミーティングに挙げる権利があります。悪さをした子にどのようなペナルティを与えるべきか、または相手の言い分次第では与えないべきなのか、解決方法はみんなで決めます。

  • 草むしりや掃除などの小労働
  • ランチの列で最後尾まで待たなくてはならない
  • お小遣いが減らされる

上記が科せられる頻度が高いペナルティで、管理コミッティーによる実施の確認をしています。

彼等にとってのルール(法律)や、ミーティング(法廷)は、コミュニティの誰もが平等な自由を持ち合わせて共存するために、自分達で管理しなくてはいけないものであり、その時々の住民の必要に応じて柔軟に変わり得ることが大切な、民主主義の仕組みです。

自由な子どもたち。待っていても始まらない!

スクールの好きな場所で思い思いに時間を過ごす

サマーヒル・スクールの1日は、朝起きると「さぁ、今日は何をしようか?」と考えることから始まります。「子供時代は遊びたいだけ遊ぶことが大切」というニールの信念通り、特に何もせず、ふらふらしている豊かな子どもたちがたくさんいます。レッスンへの出席は義務ではなく、1日を木の上で本を読むことに費やしても、美術室や木工室での工作に費やしても、森で遊ぶことに費やしても咎められることはありません。自分の時間の使い方は誰からも強制されること無く、自ら考えて決めていくものであり、その毎日の繰り返しの中で、彼等は自発的に物事を起こす必要性を学びます。

アートルームでそれぞれ好きなものを作っている子どもたち


レッスンには学年の分別はなく、欲しい教科と学びたい事を各教科の担任へ伝えると、1週間の時間割が子ども一人一人に合わせて構成されていきます。興味の無い教科を受ける義務はありませんし、1学期中に1度も足を運ばなくても、怒られることはありません。逆に好きなこと、興味があることは、朝から晩まで飽きるほど続けることができます。しかしどんな場でも、人の邪魔をする行為は友達であろうとミーティングに挙げられてしまいます。サマーヒルの中では、他の人への尊重無き行い、自由の侵害は、レッスンを受けないことよりも非常識とされるのです。

自分自身で考えるという行為は、日常生活の中で起きる人間関係のトラブルでも同じです。誰かと喧嘩をしても、どんなに気が合わない人がいても、小さな学校の敷地の中では、その人たちと顔を合わさずに生きていくことはできません。問題と向き合うことが余儀なくされ、その都度、相手や自分の感情を受け入れ、自らの力で切り開かなければ、誰も何も解決をしてはくれません。

親から離れて過ごす自由な生活には、その子自身が背負わなくてはならない責任が伴います。自ら起こした行動が、苦い経験につながったとしても、人のせいにすることはできません。彼等はコミュニティによるあたたかく守られた環境の中で、人生の小さな痛みや辛さや悲しみを味わいながら、少しずつ成長していくのです。

ニールは「自由な子ども」とは、好き勝手なわがままや束縛から解放されることを意味するのではなく、自ら自分自身の人生の舵を切り、生活を営む自律の子ども(Self-regulated Child)であると考えました。サマーヒル・スクールの子どもたちは、知識や成績よりも、自分の感情を素直に表現できることや、強制されることなく内側から芽生える好奇心を律し、行動を起こすことから、生涯学習を身につけていきます。

A happy childhood 

年上の生徒が年下の生徒を背負い、レースをする「おんぶレース」の様子


7月、夏の始まりに1年は終わります。この時期は、毎年訪れる卒業生とのお別れに、学校中が優しい涙で溢れます。サマーヒル・スクールでは卒業時期も強制されることはなく、自分自身で決めます。進路はそれぞれで、自国に帰る子もいれば、私のようにイギリスの専門学校に進む子もいます。卒業してみんなに会えなくなる淋しさ、新たなステージへの不安と希望、そして何より子ども時代との別れは、甘く切ないものでした。

大きな視野で人生を見つめた時、何を持って学びと言えるのでしょうか。ニールは「人生の目標は幸せになることで、それは興味を見つけるということである。 」(※2)と言いました。好きなこと、夢中になれることをとことんやってみるには、自分を信じる勇気が必要です。柔軟な心と体を持った、たった一度の子ども時代。サマーヒルは私に、1人の人間としてどう生きるかを学ぶ時間と、愛情あふれた幸せな時間を与えてくれました。

  1. ※2. “I hold that the aim of life is to find happiness, which means to find interest.”

 

関連情報:

サマーヒル・スクールは、もうすぐ100周年を迎えます。2021年に向けて今後さまざまなイベントを計画中とのこと。詳しくはこちら(サマーヒル・スクールウェブサイト)をご覧ください。

テキスト:富樫 多紀