Interview|こどものわたしと、おとなのわたし vol.2 星野概念さん(精神科医)

子ども時代の星野概念さん
子ども時代の星野概念さん

dear Meのインタビューシリーズ「こどものわたしとおとなのわたし」は、アーティストや表現者ほかいろいろな分野で活動する大人たちに、子どもの頃のエピソードを聞く企画。社会とどう折り合いをつけてきたか、どう今の職業を選んだか、また、一人の大人としてこれから子どもたちとどう関わっていきたいかをご紹介し、自分なりの社会との関わりかたのヒントを探ります。

色とりどりな子どもがいるように、社会を支える大人の生き方も在り方もさまざまです。今回のゲストは、精神科医として病院に勤務しながら、ミュージシャン、文筆家として活躍する星野概念さん。子ども時代のエピソードから音楽ひとすじに過ごした青春時代、そこからどのように精神科医になり、その中で感じているクリエイティヴな思考の必要性とは。また、未来のために大人たちができることについて聞きました。


曖昧は曖昧のままでいい、というスタイル。

星野さんって、どんなお子さんだったんですか?

わりと無邪気だったと思うんですけど、幼稚園の年中の時に、天ぷらの油で家が火事になって、引っ越しをしたんです。ちょうど小学校に上がる前に板橋から葛飾に引っ越して、大人の感覚では近くても、幼稚園児としては全く違うところに住むことになって。それで、小学校って、地元の幼稚園に行っていた人たちがかなり多いじゃないですか。だから、転校生じゃないんだけど、僕だけが違うところから来た子で。入学してすぐに、先生が「みんなで友達を教え合いましょう」みたいなことを言い始めたんです。出席番号順にみんなが仲良い子の名前を発表して、どうしようと思ったときに、斜め前の席に高橋という名札が貼られていた子がいて。「いません」とか言えば良かったのに、僕「友達は高橋君です」って言ったんですよ。1回も喋ったことないのに。そしたら、高橋君に「あんなやつ知らねぇよ」と言われて、けっこう傷ついたんですよね。「あ、無邪気に人に近づいたらいけないのか」みたいな体験をしたというのが印象的です。

ある意味、行き当たりばったりというか、大胆なお子さんだったんですね。

 とにかく適当なんです(笑)。小学生って、くだらないことで喧嘩して、2派に分かれたりするじゃないですか。A派とB派がお互い主張して、反対派のことを悪く言う、というような構造がクラスの中でもあったんです。でも、どっちにも仲の良い友達がいて、ちょっと話を聞いてみると、どっちの言うこともわかるっていうか……。だから、どっち側にもつけないし、「どっちでもいいじゃん別に」という感じだったんですよ。そう言っているうちに、僕、「いいじゃん別に人間」っていうあだ名がついてですね……(笑)。そう言われても、「何が悪いんだろう?」と思っていましたけどね。周りは、「どっちかに決めろよ」と思っていたみたいですが、「何で決めなきゃいけないの? 決められないものもあるじゃん」と(笑)。

「はっきりさせない」の先駆けとも言えますよ。

 そうですね。前のめりなノンポリっていうか(笑)。いや関心がないわけじゃなくて、考えてはいるんだけど、どうしても決められない、みたいな。当時、クラスに、よくわからない理由でハブられたりする女の子がいたんですよ。頻繁に同じ服を着ていて、みんながその人のことを「あいつは汚い」とか「臭い」みたいなことを言うわけです。そういうときも、「臭くないよなぁ。なんで臭いって言うんだろう?」と思っていて。そういう、「臭くないのに臭いって言うのはなんか違和感がある」みたいな、そういうことを考えていたのかなぁ……。「お前もやれ」みたいな同調圧力は確かにあって、僕も嫌われたくないから、「そんなこと言うんじゃねぇよ!」と主張したりするわけでもなかったんですけど、同調しきれない何かはあって。

そこで、「いいじゃん別に」と。

 「出たよ、いいじゃん別に人間」と言われても「うるせえな」と返すといった感じで、集団にはなんとなくいられるんだけれど入りきれない。ずっとそんな感じでしたね。今でもそうで、「自分は場になんか馴染めない」みたいな違和感を常に勝手に感じているような気がします。いろんな集団の人と仲良くはなるんですけど、ドップリハマるということにはどうやらならない。常に心に自分の部屋は必要、とは思っているからか、実際もそうなっているんでしょうね。

星野概念さんの小学校の卒業アルバムより

スポーツ選手にミュージシャン……、夢は叶うものだと思っていた。


ー小さい頃から、わりと社会と折り合いをつけることが上手なタイプだったわけですね。

 はい、表面的には。100%折り合いはつけられていないんですけど、でもその時々で自問自答しながら、流れに任せながら、上手くはやってきたと思います、たぶん。

ーもともとは精神科医ではなく、音楽ひとすじで生きていこうとされていたとか。

 中学の時はバスケットボールをやっていて、スポーツ選手になるもんだと思っていました。当時の日記に「中学で185センチぐらいになって、高校でちょっと伸び悩むけど、大学でまた15センチ伸びて2メートルになって、NBAの選手になる!」って書いていて。親戚に誰も背が高い人はいないのに。本当に考え無しだったんです。でも中3になっても185センチには程遠く、「なぜだろう?」と思って(笑)。それで「あ、バスケはダメだ」と、高校でラクロス部に入ったんですけどあんまり面白く思えなくて、バンドを始めたら、学園祭で「ウオ~!」という歓声を受けて。「この気持ち良さはなんだろう?」と、バンドにのめり込んでいき……。で、曲を作って、オーディションに応募したら、2500組くらいの中から勝ち抜いて、横浜スタジアムに出場できる20組に入り、ライブしたんですよ。そこでも、お客さんが盛り上がってくれて、芸人さんでいうところの「ドッカン」を体験して、それが中毒になっちゃったんでしょうね。

横浜スタジアムでライブをしたバンド時代

ミュージシャンの夢を追いかけつつも、医師を目指されたのはなぜだったんでしょう。

 生物の授業が好きだったんです。あとは、親は医者ではなかったんですが、「医者はいいぞ」と繰り返し言ってくる人で……。勉強も面白かったし、親から言われていたのもあって、医学部に入れば、「医者はいいぞ」みたいなことをもう言われなくなるというか、その後どういう人生を送ってもいいんじゃないかと。それくらい、親の圧力を感じていたんですよね。だから、最初から「こういう医者になりたい」とか「こういうふうに人を助けたい」という気持ちがすごくあったわけではないんです。それよりも「ミュージシャンとしてどれだけ売れるか」しか考えてなかった(笑)。そういう考え無しだったので、「ミュージシャンやったら、すぐ売れるだろうな」と思っていたんですよ。そこから先がけっこう辛い時期になるんですけど、あの「ドッカン」が人生を狂わせたような気がしますね、僕(笑)。

辛い時期はどのくらい続いたんですか?

 大学3年か4年のときに、インディーズですけど事務所契約をして、作品を出したり、ツアーをまわったりして、けっこういい感じに軌道に乗ってたんです。その時も、「医学部を卒業して、国家試験を受けて医師免許も取るけど、まあすぐ売れちゃうだろうな」と思ってて(笑)。一応、メジャーレーベルからアルバムを出したりもしたんですが、当時思い描いていたような「武道館でドッカン」みたいなことは叶うことなく、結局、医者になってから2年研修し、3年ほど精神科医をやっていたんです。でも僕は音楽をやりたかったので、結局、精神科医の修行を一度辞めたんです。そこから7~8年、2012年ぐらいまでは音楽一筋でやっていたんですけど、30代を越えてそれも難しいと思うようになって、バンドも解散してしまって、どうしようかなと悩んでいるときに、もう一度病院へ戻ってみようと。それで総合病院の精神科の常勤になりました。

大きな挫折がもたらしてくれたもの。


戻ってきたことで、意識は変わりましたか?

 辞める前も精神科医をやっていましたが、初めはみんな、診断と治療をどうするか、例えば「この患者さんの診断はうつ病で、うつ病の人にはこういう治療をする」というような病名や障害のことを学ぶので、ずっと勉強しているような気持ちで、正直あんまり面白いと思えなかったんです。でも7~8年いろいろ挫折を経験して、自分のよくわからない自信みたいなものが全て崩れ去って……、初めて大きくつまずいたんですよね。学生時代はなんだかんだ、つまずきがあんまりなかったので。つまずいたあとに病院へ戻ったら、年齢もあるかもしれないけれど、患者さんに会うときも、診断がどうかより、この人はどういう生活をしていて、どんな人かということを考えるようになったんです。

ー苦しかった時期が結果的に生かされたんですね。

 はい。治療学のガイドラインに則して対応を続けていても、あまり患者さんが豊かになっていかないことに気づいて。例えば、幻聴は取れたとしても、ボーッとしていたりするのはなぜなんだろうと。「治療」って、処方する側が治した気になるためのものなんじゃないかと思ったりもして。もちろん薬は使いますが、それだけでは、患者さんの生活の豊かさに資することはできないのではないかという感覚が生まれてからは、やりがいも出てきてすごく楽しくなっていきました。やっぱり、診察室でも病気の話じゃなくて、「何が楽しいですか?」とか「何を悩んでいますか?」みたいな話からいろいろ細かくできるようになったら、自分も面白いし、患者さんから教えてもらうこともたくさんある。というふうにだんだん意識が変わっていったんですよね。

ガイドラインに則しながらも、自分なりの方法を探っていったと。

 教科書はありますが、たぶん、教科書通りが向いている人なんてほとんどいないと思う。教科書より少しだけ自分流に、患者さんと柔軟にやりとりしていけるスタイルがあるんじゃないかと。自分の中の一番しっくりくるやり方を探すのは、すごく難しいことなんです。でもそれってある意味、作品づくりなんじゃないかなと最近思っていて。もちろん自己満足のためではなくて、目の前の人に圧をかけずに、少しでも助けられるかもしれない方法を追求することが、音楽をつくることよりも、好きな文章を書くことよりも、何より創造性が高いような気がしているんですよね。

ー何かきっかけがないと自分の物語は語りにくいものですけど、それをかたちにして表に出すという行為はセラピーであると同時に、アート表現に近いんじゃないかと思います。

 アートなんですよ。「アートってなんだ?」っていう疑問が常についてまわるくらい、アートってなんだかよくわからないものだけれど、そうなんです。例えば、診療も患者さんが全然語れないところから始まったりする。最初は話しかけてもずっと黙っている人がいたとして、どうやったら信頼関係を築けるかをずっと考えるわけです。そのお手本はどこにも書かれていないから、自分でちょっとずつ発明していくしかない。「こういう言葉をかけてみようかな」とイメージしながらまた臨むことを繰り返して、それでちょっと表情が変わったり、メモを書いてきてくれたりする。そうやって少しずつ共同してつくっていく。それってすごく大変な作業だけれど、とっても豊かなことなんですよね。「アウトサイダーアート」と呼ばれる作品もそうだけれど、誰にも賞賛はされなくても、つくり手の興味だけでずっと取り組めているものって、アートだなって僕は思います。診療もそういうふうになりつつあって。

誰にもある向いていることが見つかるまで待つ、という視点を。 

ー星野さんは、大人として子どもたちの未来に関わるときに、意識していることってありますか?

 子どもだけじゃなくて、誰しもきっと必ず何らかの才能があるというか、向いている、しっくりくることがあるはずなんです。だけど、それを本人が気づくことはけっこう難しかったりする。「自分には何もない」とか、「平凡な人間だ」とか、「あの人は成功していて羨ましい」とかって多くの人が考えることだと思うけれど、そういう人にも必ず何か向いていることがあると思う。大人が子どもに対して、見つけてあげるということでもない。子どものストレスを溜めないことが一番だと思うんです。例えば、一律に決められた課題に向いていないというだけで自己否定的に育ってしまうこともあるので。「成績が悪い」、「学校に馴染めない」といった理由で辛くなっている子どもに対して、「うちの子は出来が悪いから」と言うのではなく、「別のところで向いていることがあるはずだから、それが見つかるのを待とう」という視点で接するのがいいのかな、と僕は思うんですよね。

ー「うちの子」として過度な期待も卑下することもなく、「いずれどこかへは可能性が開くだろう」というスタンスで、客観的な視点を持つということでしょうか。

 きっと、大人が子どものことを自分ごとにしないほうがいいんですよね。自分ごとになると「こういうふうになると思っていたのに……」という期待をしてしまう。例えば僕だったら、父親に「せっかく医者になったのに、精神科のような科を選ぶなんて本当に台無しだ」みたいなことを言われたことがあるんです。大人になってしまえば、そういうことを言われても平気ですけど、子どものうちからそれが続いていると苦しいですよね。「自分はダメなのか」と思うし、「期待に応えなきゃいけない」というプレッシャーを感じてしまう。そうすると、自分が大人になってから何をやりたいのかがわからなくなって、誰かの期待に応え続ける人生になってしまうかもしれない。

本当にその通りだと思います。ちなみに星野さん自身は今後、どんな活動をしていきたいと考えていらっしゃいますか?

患者さんがダラダラできる空間があって、畑があって、もちろん治療をするところでもあるような、診療所と養生園が合わさったような場所をいつか作りたくて。土に触ることは命との触れ合いだと思いますし。それを目指して、今は場所探しをしているところなんです。東京でやるべきなのか、東京の外でやるべきなのかはまだ定まっていないんですけど。

ー最後にひとつ聞きたいのですが、そのモジャモジャヘアーは精神科医としての演出でもあったりするんですか?

 いやいや、違いますよ! 元々はすごい直毛なんです。今までやった髪型の中でこれが一番楽なんですよ。昨日も、他の科の病棟で身体の状態が辛いということで、怒鳴ってしまう患者さんを診察することになったんですが、「こんにちは、星野です」って言ったら「小池さんやんか!」と言われて。そこから急に笑える雰囲気になったんです。「でも僕はラーメンが好きじゃないんです」と言ったら、「嘘つけ!」とツッコまれたりとか(笑)。このパーマが取れてくると、「パーマ取れてきて見苦しいから早くかけたほうがいいよ」と患者さんにアドバイスしてもらったりもしますし。なので、そういうコミュニケーションのツールにはなっていると思います。


写真:田上浩一 文:小川知子

プロフィール
  • 星野 概念
    ほしの・がいねん/1978年生まれ。精神科医 など。病院で勤務する他に、執筆や音楽活動も行う。連載は「みんなのミシマガジン」、雑誌「BRUTUS」、「エル グルメ」、「群像」にて。著書にいとうせいこう氏との共著『ラブという薬』、『自由というサプリ 続・ラブという薬』(共にリトルモア)、近著に『ないようである、かもしれない〜発酵ラブな精神科医の妄言』(ミシマ社)がある。音楽活動は歌ったり演奏したり、さまざま。